変革リーダー数珠つなぎ PROFILE 5
ビジネスモデルの変革者が考える変革リーダーの本当の姿とは

水永 政志氏
スター・マイカ株式会社 代表取締役社長

インタビューINTERVIEW

『ビジネスモデルの変革者が考える 変革リーダーの本当の姿とは』水永 政志氏 スター・マイカ株式会社 代表取締役社長

「水永くん、一杯飲みに行こう」新しい常識との出会い

水永様は、商社マン、コンサルタント、投資銀行と華々しいキャリアを築かれた後に、事業家へ転身をされています。ずっと起業に関心を持たれていたのでしょうか。

いえ、最初からそうしようと思ってきたわけではありません。私は、父が地味な普通のサラリーマン、母が看護師という、ごくごく普通の家庭で育ちました。高校生くらいまでは、商売をするなんて常識はなく、会社をつくるなんて、とても危なっかしいことのように思っていました。真面目にサラリーマンになって、そこで少し偉くなる、それがいい人生だと思っていました。

転機は、大学時代の家庭教師アルバイトの教え子のお父さんです。お父さんは不動産業を営んでいたのですが、彼の生活は私にとっては謎だらけでした。高級車に乗り、お金に不自由する様子もなく、毎日サウナに通って、夕方くらいに帰ってきて、娘の家庭教師をしている私に、「水永くん、ちょっと飲みに行く?」と。まさに金持ち父さん、貧乏父さんといった感じで、”サラリーマンじゃない人生もあり” とそのときに認識しました。

その後、システム開発会社でのアルバイトがきっかけとなり、在学期間中に大学の仲間達と会社を設立し、最終的に20~30人規模の経営を経験しました。月末になるとお金が足りないという普通の中小企業と同じ悩みを抱えながら、決算書を見ると何千万と儲かっていて、「何でだろう?」と思っていました。あの頃はまだベンチャーという言葉もない時代で、キャッシュフローなどの話もわかっていませんでした。

2回留年し、親からの外圧もあって、会社を売却し、就職活動をスタートしました。当時は公務員試験と並行して民間企業を受けていましたが、ある日、三井物産の大きなビルを見て、「こういう会社ってどうやってできるんだろう」と、ふと素朴な疑問を持ちました。このままどれほど頑張っても、今の自分たちの会社があのような大会社になるとは思えませんでした。とにかく素朴な疑問を解消したいと思いました。ちゃんと就職して勉強しようと、商社に入社する選択をしました。

入社後に配属された経理部で3年経った頃、このままではまずいという危機感から、企業派遣としてUCLA経営大学院へ留学しました。そこでクラスメイト80人が誰も三井物産を知らないことにショックを受けました。逆に日本人が知らないところで、マッキンゼーやソロモンブラザーズなどが世界ですごいことをやっていることを知りました。自分の常識が壊され、日本でのものさしが全くあてにならないことを思い知りました。帰国後3年以上は勤める約束をしていましたし、私もそのつもりで行きましたが、気がつけば留学1カ月後に辞める決意をしていました。おそらくこの衝撃がなければ、私はいまだに三井物産にいたと思います。

世界の基準から取り残されている焦りとプロフェッショナリズムへの好奇心

1カ月で世界のエリートたちとの差を見せつけられた私は、世界の基準と比べるとだいぶ遅れていることに焦りを覚えました。この頃はまだ起業したいと思えるネタもなかったですし、起業に対する焦りということではありませんでした。「すごい人たちはどこにいるのかな?」という発想で、BCG(ボストンコンサルティンググループ)とGS(ゴールドマン・サックス証券)で6週間ずつ、サマーインターンを経験しました。結局BCGに決めましたが、GSでのインターン時に、当時はまだ日本に部署がなかった、PB(プライベートバンキング)の仕事に興味を持っていました。

BCGでは地獄の2年を経験しました。正直、あまりコンサルタント職に向いていなかったと思います。そろそろ辞めようと思っていたときに、GSに電話をしたところ、覚えていてくれており、「今日すぐに会いましょう」ということになりました。すると担当の方がPB出身の方で、ちょうど日本でPBを始めようというタイミングでした。「じゃあ今しかない」と、その瞬間に決まりました。

GSでは、PBを始めるところだったので、完全な自由裁量でしたし、ビジネスをやっている感覚もありました。私は営業を経験したことがありませんでしたが、BCG時代に鍛えられた、プレゼンでの緻密なロジックの組み方や、デリバリーの仕方がそのまま役に立ち、気がつけば世界一の成績になり、年収は数億円にまで上がりました。今思えば、いい順番でキャリアを積めたと思います。

ルビコン川を渡った先には地獄の日々が待っていた

お客様のほとんどは、創業系の上場会社の社長でした。個人のお金なので、いろいろな意味で深いところまで話すわけですが、「どうしてこのお金ができたのか?」と、私が根掘り葉掘り聞くので、向こうも喜んで話してくれる。気づくと食事をしながら、いろいろな話をする仲になり、大きな金額を預けていただくとともに、たくさんの刺激をもらいました。その中でもよく覚えているのは、ドン・キホーテ創業者の安田さんの言葉です。「俺たちはルビコン川を渡って、体を張って戦争しているが、君は向こう側の安全地帯の中で戦争ごっこをやっているよね」。この言葉は私にかなり影響を与えたと思います。

私はいろいろなことに興味を持つので、「何かやりたいけど、怖くてやれない」ということが、過去に何度もありました。いつもグジグジと悩み、我慢していました。リスクを取れない、迷っている自分が嫌で、ずっとふつふつとしたものを抱えていました。GSは最高の環境だったので、葛藤はありました。今辞められないのなら、永遠に辞められない。自分にそう言い聞かせ、GSを辞めました。REITが日本で始まることを聞き、日本で初めてのREIT事業会社を立ち上げました。しかし設立後すぐに、2000年のインターネットバブル崩壊が起き、ネット系のお客様の資金が集められなくなりました。当初500億円集めるはずが、50億円しか集まりませんでした。楽しかったのは最初の2週間だけで、そこからは地獄のような日々が続き、「何でGSを辞めたのだろう」と後悔しました。半年後、一緒に辞めて創業したメンバーと相談し、「もう諦めよう、白旗だ」ということで売却に至りました。

その会社は売却の2年後、上場して大きな会社になりました。彼らは引き継いだ後、そのままのモデルで上場しましたから、ビジネスモデルが甘かったわけではなかったのです。今振り返れば、胆力が足りておらず、得体の知れない恐怖に負けてしまったのだと思います。半年くらい地獄になったからって、信念があったらやるべきで、売る必要なんてなかったのです。

天国だったはずの安全地帯が輝いて見えなくなった

その後GSに戻り、パートナーなど、さまざまな椅子があったであろう中で、再びスター・マイカを創業されますが、やはり起業への思いが断ち切れなかったということでしょうか。

楽しかった仕事を捨てて、飛び込んでみたら、散々な目に遭って、「なんで捨てたんだっけ?」と後悔して、前の職場に戻ってきたわけです。しかし、あんなに苦しい思いをした後の天国が、なぜか輝いて見えなくなってしまったのです。戦争に行って、帰ってきたら、普通はもっと幸せに感じるはずなのに、ちっともそうは思えず、ここは違うな、と思いました。どうやら気づかぬ間に、戦場の魅力にはまってしまったようです。

もともとGS在籍時に、ワンルームマンションを購入したり、小さなペンシルビルを購入し、それがどんな投資なのかを研究したり、古いアパートや、札幌や福岡でも購入したりしていました。いろいろなものを購入しているうちに、偶然、今のビジネスモデルに行き着いたのです。不動産業界の友人に、駒込にあるマンションの6室を勧められたのがきっかけでした。相場は3280万円だが、1室2500万円で買わないかと言うのです。何でそんなにおいしい話なのに、その勧めている本人が買わないのか、自分で買わないなら他の不動産業者に売ればいい、そんな話は絶対嘘だ、と初めは思いました。念のため確認してみようと、駒込の駅前の不動産屋さんを回り、図面を見せて確認していくと、誰もが3200~3300万円と同じことを言ったのです。「同じマンションなのに賃貸中は安いなんて、そんなのはおかしい」。その単純な疑問が、スター・マイカの原点でした。

不動産業界に従事している多くの人たちが、当たり前に知っている事実を素通りする中、水永様は立ち止まりました。ここが大きな分かれ道のように思います。どうしてその矛盾に気づくことができたのでしょうか。

私は小さい頃から好奇心が強く、家にある百科事典を隅から隅まで読み込むような子でした。そして、いつもなぜ?を繰り返しているようなところがありました。

留学時代に学んだクリティカルシンキングも大きかったと思います。この授業は基本的に常識を疑えと言われるので、「アメリカでは、根掘り葉掘り聴いていいんだ」と思いました。もともとの好奇心の強さと相まって、素朴な疑問を常に追求する癖がつきました。その観点からすると、不動産業界の方々がやっていることをそのままやることの方が、私にとって不自然なことだったと思います。不動産は古い業界ですし、過去の失敗から学び続けてしまっている。そうすると、形式化して、業界の暗黙知に皆が縛られて戦っていくことになる。そこで同じことをしたら、資本力のある財閥系が勝つと決まっていて、ベンチャーはやってはやられて、を繰り返すという構図になる。常識通りにやってはダメなのです。

もちろん、いろいろと戦略を考えていくと、他の人がやっていないのはおかしいな、という恐怖心はありました。しかし、突き詰めていくと、他の人がやらない理由がわかったので、「このビジネスモデルは地味だけど絶対にいける」と確信し、再挑戦の道を選びました。

全ては違和感へのアンチテーゼと恐怖心に打ち克つ勇気

設立から16年経ち、東証一部に変更された現在も、従業員100名程度で事業運営をされていらっしゃいますが、少数精鋭組織であることに何かこだわりを持たれているのでしょうか。

ベンチャーという意識が常にあります。三井物産のような会社は作れるはずがないですし、どうせなれないのなら、小さいのが前提だと。小さいけど、この業界で一番光っている企業にしよう、特別にいい会社にしよう、という考え方です。その想いは社名にも込めていますし、創業時から言っています。UCLA時代にいい会社の基準が大きさでないことを知ったことも大きいです。売上高が何千億とか何兆円というのは、かっこいいかもしれませんが、私の中では、1人当たりの利益額がナンバーワンであることのほうがうれしいです。

それから、プロフェッショナル集団であることにもこだわりを持っています。三井物産時代に、外資企業ならば全部否定されるようなことも一通り経験し、BCGやGSのようなプロフェッショナル集団を経て、自分なりの理想の組織像が醸成されました。不動産業界の社長には、「水永くんは甘い」と、よくお叱りを受けます。うちの会社は、ブラックでもなく、理不尽なこともなく、詰められたり、怒鳴られたり、赤い棒グラフを立てられたりすることもなく、変なノルマが与えられることもありません。そういう今までに経験した嫌なところがなくて、良いところが全部ある、いつも笑顔があふれる会社にしたいと思ってやってきています。

お話を伺い、「なぜ?」を追求し行動する冒険家な一面と、大きな決断の際に恐怖と葛藤する二面性に不思議な魅力を感じました。水永様にとって変革リーダーとはどんな人でしょうか。

通常、人はいざ何かやろうと思った際、その行動によって起こるメリット、デメリットを並べます。そのとき、恐怖感や不安感によってデメリットを過大評価しがちです。現在ほとんどの産業が成熟期や衰退期にありますので、多くのリーダーが、変革の必要性を理解しており、変革によるメリット、デメリットの天秤で悩まれているのではないでしょうか。普通のリーダーと変革リーダーの違いは、好奇心と冒険心を原動力とした、思考の仕方と行動にあると思っています。私が考える変革のリーダーは、強い好奇心が転じて、リスクに対してとても敏感な人だと思います。常にデメリットを大きく見積もるバイアスを持っているので、大きな恐怖心と闘っています。一方で、強い冒険心に裏付けられた「行動したい欲求」も持ち合わせているので、大きく見積もった恐怖に何とか打ち克とうと必死になります。結果的に、全体像をできる限り把握し、リスクを最小限にすることを考え、そして勇気を持って行動するのです。

経営者は、「やらないほうがいい」という理由を常に本能的に探しているはずです。恐怖に打ち克つために考え抜き、そして勇気を持って戦える人が変革を成し遂げることができると、私は考えています。

本インタビューは、前回インタビューの吉越様からの数珠つなぎによって実現することができました。最後に、ご自身が尊敬される変革リーダーをご紹介いただければ幸いです。

私からは、ミスミ元代表の田口さんをご紹介したいと思います。BCG時代からお付き合いがあり、私のエンジェルでもありました。大変お世話になった大先輩でもありますし、一番尊敬している方です。変革リーダーを1名だけ選べ、と言われたらこの方しかいないと思っています。

 

 

(写真)独自性のある優れた競争戦略を実践し、業績を高めている企業として、2011年度にポーター賞を受賞。業界の常識に挑み、“ユニークなビジネスモデル”を構築した点が、高く評価された。写真は、受賞時の水永氏。

PROFILE

スター・マイカ株式会社 代表取締役社長
水永 政志 みずなが まさし

1964年、神奈川県生まれ、広島県福山育ち。東京大学在学中に、コンピューターソフトウェア会社設立、後に売却。1989年、東京大学卒業。三井物産に就職し、本社財務経理本部に配属。1995年、米国カリフォルニア大学ロスアンゼルス校(UCLA)経営大学院にて、経営学修士(MBA)取得。ボストン・コンサルティング・グループ、ゴールドマン・サックス証券を経て、2000年、ピーアイテクノロジー(現・いちご、旧社名・アセット・マネジャーズ)設立。2001年、スター・マイカ創業。順調に成長を遂げ、2017年7月、東京証券取引所市場第一部へ。

UPDATE 2017.10.10
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